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2011-11-11

アンネナプキン(その1)生理用ナプキン誕生50周年

今日、20111111日は、使い捨て生理用ナプキンが誕生してから、ちょうど50年目にあたる。

日本では、月経に対する不浄視が根強く、長い間、生理用品は日陰者扱いされていた。

戦後しばらくの間は、脱脂綿と手製の丁字帯や市販の月経帯を組み合わせた処置が主流だったが、経血が漏れたり、脱脂綿が転がり落ちたりすることも、ままあった。

――女性たちが月経中であることを忘れ、仕事やスポーツに打ち込めるような生理用品を作りたい――

そんな思いから、当時27歳の専業主婦坂井泰子が、会社を設立し、開発、販売したのが、生理用ナプキンの元祖「アンネナプキン」である。

泰子は、夫の秀彌とともに、会社設立のための出資者を探すが、いずれも「女のシモのものでメシを食う」ことに抵抗を感じ、二の足を踏む。

会社経営のかたわら、電気製品の発明も行い、「第二の松下幸之助」と呼ばれていたミツミ電機社長の森部一が、「社会に奉仕できる、貢献できるという観点からこの事業を始めるのなら」という条件で、資本金1億円と、敏腕宣伝マンの渡紀彦を託してくれた。

泰子は社長に就任。会長に就任した森部も、33歳の若さだった。

新会社のPR課長に就いた渡は、生理用品を扱うということに最初は抵抗を感じていた。

しかし、毎月1000万円の宣伝費が投じられることや、まだ会社名も商品名も決まっていないということが、宣伝マンとしての職業意識に火をつけた。

試行錯誤のうえ、アンネナプキンが完成。

ナプキンという言葉を日本で最初に生理用品に使おうと考えたのが渡、アンネという名前を提案したのは泰子だった。

渡は、アンネナプキンを世に送り出すのに相応しいキャッチコピーを社内外から募集。

そのなかに、渡が「千万金に値する」と思うコピーがあった。

40年間お待たせしました! いよいよアンネナプキン登場!」

アメリカでは、40年前に紙綿製の使い捨て生理用品が発売されており、すでに有経女性(月経のある女性)の80%が使用していた。

アメリカに遅れること40年、やっと日本の女性も快適な生理用品を手にすることができるというわけだ。

このコピーは、実に歴史に残るものだった。この後、アンネ社は数々の名作と言えるキャッチコピーを制作し、次々と「雑誌広告賞」を受賞するのだが、このデビュー作がなんと言っても一番有名だろう。

渡は、このキャッチコピーを使った広告を発売当日に一斉に出すという方針にこだわった。

そのほうが効果的だと考えたのである。

ところが、工場長から、ラインの不調のため発売予定日の101日までに生産が間に合わないとの連絡が入り、会長の森部は発売日の延期を決定した。

この決定は、渡には承服しがたかった。

前宣伝を一切やらないという方針にこだわった渡は、当初の発売予定日に合わせて、広告代理店や新聞社と契約を交わしてしまっていたのだ。

すでに予定変更がきかないメディアもあった。

渡は会長の森部に、「アンネを見殺しにする気ですか? 発売日を延期するなんて、自殺するに等しい!」と本音をぶつけている。

しかしすぐに気を取り直し、延期するなら字面のよい1111日」にしようと主張。

電車内の広告は1111日に変更、朝日新聞の一面広告は11月下旬に変更し、変更がきかない雑誌広告は「前宣伝」と見なすことにした。

渡のプロデュースによって、アンネナプキンが衝撃的なデビューを果たしたことは事実だが、発売と同時に複数の全国紙に一面広告が掲載されたといった話は「伝説」にすぎない。

かくして、「40年間お待たせしました!」のコピーは、今からちょうど50年前の1111日、電車内に登場したのである。

アンネナプキンの売れ行きはすさまじく、しばらくの間は品薄状態が続いた。

後続会社も次々と誕生し、ナプキン市場は急激に広がった。

ナプキンは、高度経済成長期の女性の社会進出を支え、その女性たちによって消費されたと言える。

そして、アンネ社が制作したおしゃれで爽やかな広告は、月経に対する暗いイメージを払拭し、「アンネ」は月経の代名詞となった。

誕生から50年。つまり、日本の有経女性は全員、ナプキン世代と言える。

今日くらい、自分たちの生活を支えるこの小さな日用品に、思いを馳せてみてもいいだろう。

文中、敬称略)

>>「アンネナプキン(その2)」に続きます。

※ アンネ社の誕生と全盛期については、拙著『生理用品の社会史――タブーから一大ビジネスへ』(ミネルヴァ書房)第3章が詳しいです。


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