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2011-11-15

アンネナプキン(その2)会社も2度死ぬ

当ブログ「生理用ナプキン誕生50周年」に書いたように、20111111日は、元祖生理用ナプキン「アンネナプキン」が発売されてから、ちょうど50年目にあたる記念日だった。

これなくして女性の活躍は語れないというほどの重要な存在であるナプキンが誕生してから、40周年でも60周年でもなく、50周年という節目である。

このことをできるだけ多くの方々に知っていただきたくて、新聞に投書したのだが、ダメだった。

ボツを確認してから、50周年についてブログに書いた(ブログに書いたことは、投稿してはいけない決まり)。

結局、いずれのメディアもナプキン50周年について、触れていなかったようだ。

もしアンネ社が存続していたら、華々しく記念式典でもやっていたかもしれないし、メディアも注目しただろう(新聞やテレビは、女のシモのネタは扱わないかもしれないが)。

しかしアンネ社は消滅し、語る人もいない。

人は2度死ぬ(命が終わったときと、人々から忘れ去られたとき)と言うが、会社も2度死ぬ。

1961年に衝撃的なデビューを果たしたアンネナプキン。

渡紀彦PR課長の強力な広告戦略のもと、アンネ社の売り上げは、会社設立の翌年10億円、翌々年21億円と急成長を遂げた。

会長の森部一は、新工場を設立、アンネの商品を輸送するため、アンネ商運株式会社も設立した。

朝日新聞社広告部の調査によると、発売直後の196112月、アンネナプキンを使用したことがある女性の割合は、全有経女性(月経がある女性)の2%。それが1972年には、80%にまで伸びている。

アンネ社の急成長にあやかろうと、5年後には、後続会社が300社にも上った。

最初の躓きは、196410月の薬事法違反だった。

アンネナプキンの登場が、それまで停滞していた生理用品市場を活性化させた結果、既存のメーカーや後続会社が、類似品を続々と発売。

それに対抗するため、アンネ社も商品増産に力を入れた。

しかし、ナプキンのポリエチレン個装だけは機械化されていなかったため、工場周辺の農家に下請けに出したところ、薬事法に抵触、1週間の営業停止処分となってしまった。

アンネ社は約80万箱の製品を回収し、社長の坂井泰子は泣きながら記者会見を行っている。

その後もアンネ社は業界第一位のシェアを守っていたが、後続会社の一つ、ユニ・チャーム株式会社が徐々にアンネ社に迫っていた。

(文中、敬称略)

>>「アンネナプキン(その3)アンネ社の斜陽」に続く


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