toggle
2011-11-21

「オバサン力」は正しく使おう

11月7日付当ブログ、「取調べに負けない方法」に関連して。

刑事の心理作戦に負け、逮捕から10日目に虚偽の自白をした甲山事件のSさん。

163日間も身柄を拘束されたものの、検事の厳しい取調べに屈しなかった厚生労働省の村木厚子さん。

短大を卒業して間もない22歳の保育士と、数少ない女性官僚として30年間働いてきた村木さんとでは、権力と対峙する姿勢に差があるのは当然だ。

もう一つ大きな違いは、Sさんにとって刑事は自分の親のような年齢であったのに対し、村木さんの場合、検事は自分と同年代か年少であった。

人と相対するとき、自分のほうが年長であれば、心に余裕が生まれる。

私は10年ほど前から、「最近、役所の対応が格段に良くなった」と感じていたのだが、それは役所のサービスが改善されたわけではなく、私自身が「適当に対応してもかまわない年少者」から、「対応を間違えたら文句を言われそうなオバサン」へと変わったせいかもしれない(実際には、そんなにうるさいオバサンではありません)。

そういえば、以前は知らない人から話しかけられたり、問い合わせがしたくて電話をかけたりするとき、多少は緊張したが、今は病院の待合室やバスで隣り合わせた人とは、ほぼ確実に世間話をしているし、考えるより先に電話をかけている。

多くの人があるとき、この「年齢から生まれる心の余裕」に気づくのではないだろうか。

それを自覚的に生きている女性が、「オバサン」と見なされているようだ。

以下引用>> (前略)家の近くからバスに乗ったところ、次の停留所で体格のよい中年男性が乗ってきて、「金を払うのか、こんなに遅れて」と怒鳴ってから私の前の席に座った。すると、後方の席から「そんなに遅れてないわよ、4分くらいよ」と熟年の女性の大きな声。不快感が漂った車内の空気は、ほっとしたような雰囲気に変わった。男性は目を閉じたまま黙っていた。

最近、イライラしている人が多いようだが、それを一声で鎮めてみせる「オバサン」の力に脱帽した。(後略)

(「女性の一声でイライラ車内一変」『朝日新聞』「声」2011927日)

こういうときこそ、「年齢から生まれる心の余裕」を生かしてほしい。

とはいえ、この女性は若い頃から、思ったことをはっきりと言うタイプだったのかもしれない。

したがって、わざわざ「『オバサン』の力」と書かずとも。その前では「熟年の女性」という言葉を使っているのに。

しかも投稿者は84歳の男性。

もしかしたら、「おばあさん」と書きたいところをあえて「オバサン」とサバを読んでいる(?)のかもしれないが。

それとも、蔑称化した「オバサン」という言葉の名誉回復のために、あえてカタカナの「オバサン」を使っているのだろうか?

以下引用>> 明るい髪色、ピアスにメーク、携帯依存症。イマドキの若者の私18歳でできちゃった婚、そして出産。(中略)

年子の娘と息子は可愛いが、ずっと一緒だと息が詰まる。母親失格だと自分を責めたりもした。そんな私に希望をくれたのが通りすがりのオバサンたちだ

「今は大変だけど、人生を振り返ると一番輝いていてすてきな時よ」「イライラして当たり前」「上手に育ててるね」「可愛いね」「帽子かぶせなさい」「よだれ出てるよ」。お世辞とおせっかい。その一言に救われる。

私みたいに旦那以外とは会話がない母親には、オバサンたちのおせっかいも立派なコミュニケーション。世のオバサンたちがもっとおせっかいになったら、救われる母親がいるはずだ。

(「『おせっかい』が育児を救う」『朝日新聞』「声」201182日)

1117日付当ブログ「オバサンは『孤独死』しない」でも触れたが、オバサンのコミュニケーション能力は侮れない。育児に悩む母親も救う。

「イマドキの若者」が新聞投稿などするのだろうか、と意外に感じたが、それこそ偏見というものだろう。

「オバサン」を「中高年女性」と書いてもいいと思うのだが、この投稿者も、「オバサン」の名誉回復を狙っているのかもしれない。

次は、育児についてのオバサンの助言が、母親を追い詰めてしまったケース。

以下引用>> 「あなたお母さんでしょ! もっと優しくできないの!」。買い物中のトイレで、5歳と3歳の息子の手を洗っている時、50代と見える女性からすごい剣幕で責められました。私はせっけん液で遊ぶ息子たちを「ちゃんと洗いなさい! ゴシゴシ泡立てて!」と叱っていました。

息子たちは、道路わきの崖を登って遊んでいて暗くなり、危ないと注意してもきかず次男が転んで、ようやくやめさせると2人で反発。はぐれた夫を捜す前にまず泥だらけの手を洗おうと、混雑をかき分け、ようやく着いたトイレでした。

そこへ「そんなことしてると大きくなってやり返されるわよ!」と追いうち。(後略)

(「責めるより救いの手伸べて」『朝日新聞』「声」201111月9日)

これは、前の投稿とは真逆である。

母親よりも年長であるオバサンの立場から、子どもたちのために発言したのだろうが、母親に同情せざるをえない。

ここでは前2つの投稿とは異なり、あえて「オバサン」という言葉が使われていない。

「声」欄の担当記者も、「オバサン」の名誉回復を図っているのだろうか?

オバサンの「心の余裕」やコミュニケーション能力は、人生経験から得た貴重な武器である。

使い方によって、人を助けたり、逆に凶器になったり。

「オバサン」を蔑称化しないためにも、武器は正しく使いたい。


関連記事