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オバサン・月経・犯罪

P&Gの月経不浄視撲滅CM

インドでは、月経不浄視がいまだ根強く、月経中の女性は男性の前に出てはいけないとか、外出してはいけないといった慣習がある(日本でも月経不浄視がまだ残存している)。

女子児童も初潮を迎えると、1ヶ月に4日間ほど学校を休むことになる。すると、卒業までに男子児童よりも登校日数が200日も少なくなってしまい、当然ながら勉強が遅れ、ここから男女の格差が広がる。

不浄視のほかに、生理用品の不備も、女性たちが学校や仕事へ出かける際の足枷となっている。

インドでは、いわゆる使い捨てナプキンを使っている女性は、全体の1割という統計がある。これは、貧困や不浄視といった理由のほかに、「生理用品に対するタブー」が影響している。

例えば、「使用済みのナプキンを豚が踏んだら結婚できない」とか、「使用済みのナプキンの上を蛇が通ったら姑と喧嘩をする」とかいう話が信じられている。(普通、使用済みナプキンは外に捨てない。たまたま捨ててあるのを踏んでしまった人が、腹立ちまぎれに言い出したことなのか?! その辺は不明)

そのインドで、使い捨てナプキン「ウィスパー」を販売するP&Gが、月経不浄視撲滅コマーシャルを放映し、世界最大級と言われる広告祭でグランプリを受賞した。

インドの月経不浄視に基づく慣習の中で最も一般的なのは、「月経中の女性がピクルスの入っている壺に触るとピクルスが腐る。だから触るな」というもの。このコマーシャルでは、月経中の女性がピクルスの壺に触りまくってて痛快である。

http://www.movie-times.tv/purpose/buzz/6588/

(情報提供:山浦麻子さん http://nunonapu.chu.jp/naplog/

 

舛添都知事の「女は生理のとき異常」発言について

最近、複数の週刊誌の見出しに、「舛添要一都知事『女は生理のとき異常』の女性蔑視過去」(女性セブン)といった文字が躍っているので調べてみたら、舛添氏はかつてこんな発言をしたそうだ。

「僕は本質的に女性は政治に向かないと思う。(中略)体力の差ということでいえば、政治家は24時間、いつ重要な決断を下さなければいけないかわからない。そのとき、月1回とはいえ、たまたま生理じゃ困るわけです。(中略)女は生理のときノーマルじゃない。異常です。そんなときに国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されてはたまらない」 (『BIGMAN』198910月号)

結論を先に言えば、「女は生理のとき異常」というのは、俗説に過ぎない。

私は博士論文で、この説の信憑性について確かめ、なぜこうしたことが言われるようになったのか、形成過程を探った(ダイジェストはこちら→拙著『月経と犯罪』)。

舛添氏はまた、こんなことも言ったそうだ。

「(マドンナ議員が増えたのは)歴史的な例外の時代であって、だから、女ごときが出てこれる。(中略)あのオバタリアンは全部、〝あがった〟人ばかりなんでしょう」(同上)

月経時の女が異常なら、〝あがった〟女は正常なのではないだろうか?

ちなみに石原慎太郎氏も「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪」と言っていたので、この二人の女性観はかなり似通っている。

日本では明治以来、月経時の女は異常だということが、繰り返し唱えられてきた。

月経時に頭を使うと脳を傷めるとも言われていたし、犯罪や自殺に走りやすいとも言われていた。

医者や教育者は、月経時の女学生にはテストを受けさせるなと説き、女が犯罪を犯すと、刑事や検事が「おまえはそのとき、月経ではなかったか?」と聞き、女が「そうです」と答えると、減刑されたり無罪にされたりした。

逆に、月経であったがために、殺人犯の汚名を着せられた女性もいる(甲山事件)。

2014年現在、「女は生理のとき異常」という発言は「女性蔑視」と見なされ、週刊誌のネタにされている。

しかしこれは、女性は政治家に向かないという文脈の中で語られているために批判されているが、これを例えば女性ジャーナリストがワイドショーなどで女性容疑者を擁護する際に口にした場合、おそらく批判されない。それどころか、真に受ける人続出であろう。

今日では(正確には70年代以降)、女が精神に不調を感じたり、仕事でミスをしたり、犯罪を犯したりするのは、「月経前症候群(PMS)」とからめて「月経前」であると説明されている。

月経前にイライラしたり、落ち込んだりする女性が現に存在することは否定しないが、メディア(とくにNHK『あさイチ』)による「月経前症候群」についての情報は、かなり雑だし極端だ。

「月経前症候群」の話題に象徴されるような、「ホルモン」をキーワードに女性の言動を解釈しようとする最近の風潮の背景には、社会の保守化があろう。

「強い男」と「子どもをたくさん産む女」を作るためには、性別役割分業を強化する必要があり、そのためにはホルモンによる男女差の説明が有効である。

ホルモンの影響には抗えないのだとしたら、「役割」に準じた方が楽に生きられる。

 

「イネコナプキン」

現在、普及している生理用ナプキンの元祖は、1961年にアンネ社から発売された「アンネナプキン」である。

社名と商品名は、『アンネの日記』からとった。

理由は、アンネ=フランクが日記のなかで月経を「甘美な秘密」と表現し、肯定的に捉えていたからである。

アンネナプキン発売時の日本では、まだ月経不浄視が根強く、月経について女性同士で話すことさえ、憚られていた。ナプキンを商品化し、市民権を獲得するため、アンネの前向きな月経観にあやかろうとしたのである。

そしてそれは、期待以上の成果をおさめ、「アンネ」は月経の代名詞ともなった。

アンネの初経から遡ること25年。第一次世界大戦中の長崎にも、初経を前向きに捉える少女がいた。

佐多稲子の自伝的小説『素足の娘』の主人公は、母親を早くに亡くし、父親と生活していた。初経を迎え、離れて暮らす祖母からの教えを思い出し、一人で呉服屋へ布を買いに行き、人目を気にしながらコソコソと丁字帯を縫う。

しかし彼女は、心細さを感じるよりも、自分が年齢相応に初経を迎えたことに安堵し、微笑むのである。そこには、月経不浄視や、女性性に対する卑下はまったく感じられない。

第一次大戦当時の日本ではまだ、月経小屋や別火(穢れをうつさないため、炊事の火を別にすること)、乗舟の禁止など、月経禁忌にもとづく慣習が、各地に残っていた。

(同じ頃、アメリカでは世界初の使い捨てナプキン「コーテックス」が発売され、急速に月経タブー視が解消されていった)

つまり佐多稲子は、当時の一般的月経観とはかけ離れた、肯定的な月経観の持ち主だったといえる。

もしアンネ社の社長坂井泰子や、PR課長の渡紀彦が『素足の娘』を読んでいたら、商品名の候補に「イネコナプキン」が挙がっていたかもしれない(?)。

今、東京目黒の日本近代文学館で、「凛として立つ――佐多稲子の生と文学 没後15周年記念展」が開催中である。

初日に出かけたが、観覧料200円とは思えない充実の内容だった。

 

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