NHK 連続テレビ小説『ひよっこ』。
ヒロインみね子(有村架純)が、歴代ヒロインたちのように、木に登ったり海に飛び込んだりして、これ見よがしにお転婆ぶりをアピールしないどころか、むしろ控えめで鈍臭いところに好感が持てる。
このドラマには(おそらく最後まで)、意地悪な人が1人も出てこないので、良くも悪くも安心して見ていられるのだが、6月3日(第54回)の放送はいただけなかった。
1965年、暮れ。みね子と、同じく茨城から集団就職で上京してきた時子(佐久間由衣)と三男(泉澤祐希)が喫茶店で語らうシーン。三男は米屋に勤めているのだが、そこには三男と同年代の一人娘がいる。
みね子「その娘。さおりさん。三男に惚れてるんでないの?」
三男「はっ?」
みね子「旦那さん、跡継ぎにしたいんでねえの? 婿養子として」
三男「はあ? いや冗談じゃねえよ、おめえ。そのために東京来たんじゃねえしよ。だいたい農家の三男坊から婿養子ってどんな人生だ、おれは。日陰すぎだべ、いくら何でも。もっと日の当たる人生を歩みてえよ」
みね子も時子もとくに反応せず、一旦会話終わり。
「冗談じゃねえよ」「どんな人生だ」「日陰すぎだべ」とは、いくら何でも「婿養子」をこき下ろしすぎだべ。全国の「婿養子」のみなさんに失礼すぎる。
このドラマに限らず、「婿養子」といえば体裁の上がらない男として扱われることが多く、世間には「○○さん、婿養子になったんだって」と聞いて失笑をもらす人さえいる。
「婿養子」とは、結婚の際、夫が妻の両親と養子縁組をすることで成立する(夫が妻の姓を名乗るだけでは「婿養子になった」とは言わない)。法律上の手続きをしただけで侮られるとは、これが差別でなくて何だろう。
法律的なことはさておき、「婿養子」という言葉が連想させるのは、「男が女の家に入る」ということである。つまり、「婿養子」に対する反応は、その人の男女観、ジェンダー観を表しているといえる。
「婿養子なんて男の沽券に関わる」と考える人も少なくないこの社会で、あえて「婿養子」になったり、妻の姓を名乗ったりする男性は、世間体など気にしない、度量の広い人が多いのではないだろうか。
いずれにしても、朝ドラで平然と垂れ流されるほど、「婿養子差別」は根深いのである。
三男にはぜひ米屋の「婿養子」になってもらい、「婿養子」のイメージアップに貢献してほしい。
(「家制度」の名残である「婿養子」を応援するというのもどうなんだか…)