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「キレる高齢者」という偏見

3月21日の朝日新聞「声」欄に、中学生による「『キレる高齢者』にどう対すれば」という投稿と、高校生による「お年寄りはなぜ病院に集まるの」という投稿が掲載された。

高齢者に限らず「キレる」人は怖いので関わらないに越したことはないし、高齢者が病院に集まるのは病気だからに決まっている。

この二つの他愛ない投稿に、52通の反響が寄せられ、うち4通が4月26日の「声」欄に掲載された。

当然、誰か1人くらいは「高齢者がキレやすいというのは偏見です」と言ってくれるだろう思ったら、なんと4通すべてが「高齢者はキレやすい」という前提で意見を述べていた。

それぞれ、「つらいんです 高齢になると」(73歳女性)、「苦労した私たちを大目に見て」(85歳女性)、「自分失う恐怖との闘いなのです」(74歳男性)、「迫り来る『死』が根底にある」(86歳男性)とのご意見。

これらはすべて主観にすぎないのに、高齢者代表であるかのような語り方はいかがなものか。

今日の朝日新聞「声」欄には、これら4人の投稿に対する、「高齢者がキレるのは、『寂しさ』からではないかと思います」(21歳女性)、「病院に併設のコミュニティスペースがあれば良いのにと思いました。高齢者は出歩く機会が減って、人との交流が少なくなることで、孤立しやすくなります。(中略)一人で抱えるイライラも、共有し合えば穏やかに笑って過ごせるのではないでしょうか」(29歳女性)、「老年期は寂寥感が積もるばかりで、若い世代が楽しく元気に生活しているように思える。だから、若者のちょっとした言動にも激しく感情的な言葉が出てしまうのではないか」(60歳女性)という意見が紹介されていた。

高齢者は寂しい、高齢者は孤立している、高齢者はイライラしている、挙句に高齢者が若者に嫉妬している?

「年をとると性格が丸くなる」とか、「好々爺」というイメージもあるはずなのに、最近は高齢者に対するネガティブなイメージばかりが取り沙汰されている。高齢社会ゆえの〝じいさん、ばあさんヘイティング〟に思える。

〝ばあさんヘイティング〟については拙著『「オバサン」はなぜ嫌われるか』で言及している。そういえば、「好々爺」という言葉があって「好々婆」という言葉がなく、「鬼婆」という言葉があって「鬼爺」という言葉がないのも、年齢についての男女の二重基準と関係がある

関連ブログ「『キレる老人』は増えているか?」

大川小学校―遺族たちの3年8ヵ月

東日本大震災のとき、石巻市の私立幼稚園の送迎バスが津波にのまれ、園児たちが亡くなった。親たちが幼稚園側を提訴していたが、幼稚園側が「防災体制が不十分だった」と認め、和解が成立した。

ひるがえって、同じ石巻市で74人の児童が津波で命を奪われた大川小学校。

地震発生から津波にのまれるまで50分間もあったのに、なぜ児童たちは避難することができなかったのか(させてもらえなかったのか)理由を知りたいという親たちに対し、市、教育委員会、学校、そして第三者による検証委員会のすべてがろくな対応をしてこなかったため、今年になって親たちが石巻市を提訴した。市は争う姿勢。

NHKスペシャル『悲劇を繰り返さないために――遺族たちの3年8ヵ月』を観たが、行政の対応が酷すぎる。

石巻市の教育委員会は当初、親たちの求めに応じて説明会を開いたが、二度で終わりにすると宣言。

親たちは、地震から津波までの50分間について、助かった児童や地域住民から聞き取り調査した結果、複数の児童、教員らが、早い段階で避難を進言していたということを知った。これらを報告書にまとめ、教育委員会へ提出した。

説明会が再開されたが、教育委員会が作成した報告書には、避難を進言した人がいたという児童の証言が記載されていなかった。そのことを親が指摘すると、「私たちは、記憶は変わるものだというふうに思っています」とのたまう教育委員会側。

そんな言い分が通用するなら、世の中のあらゆる証言が無意味だということになる。

さらに教育委員会側は、助かった児童たちから聞き取りしたメモは処分してしまったので、もう確認することができない、とも。

これでは埒が明かないと、親たちの求めで、国も関与しての第三者による検証委員会が設置された。

委員長は、「阪神・淡路大震災を経験した防災の専門家」であるという人の良さそうな男性。感じは悪くない。踏み込んだ調査を期待する親たち。

しかし、検証委員会が一年かけて作成した報告書には、避難が遅れた理由について、「教職員が避難を決定したことが遅れたこと」とあった。

なぜ、教職員たちの決定が遅れたのかが知りたいのだ。これには当然ながら親たちも失望。

委員長は、十分な証言を得られず、理由を明らかにするには限界があったというが、そんなことは最初からわかっていたはずだ。調査の限界について、委員長は笑顔で(!)番組スタッフにこう説明した。忠実に再現する。私は何度読んでも意味がわからない。

「発言することで、教育委員会や学校の先生を責めることにつながるんじゃないかという思いから、発言を控える。それは日本の社会全体が、こういうときに“犯人を捜さないといけない”“誰か悪者にしないといけない”そういう社会的な風潮があるなかで、自分たちが悪者にされるのではないかという危機感があると、なるべく自分たちを守ろうとする」

「犯人捜し」を日本社会全体の風潮のように言ってるが、そうなのか?

少なくとも大川小の親たちは、みな口を揃えて、「理由が知りたいだけ」「誰かを責めたいわけじゃない」と言っている。これではまるで、親たちが「犯人捜し」をしているように聞こえる。

番組は、検証委員会と委員長を難じてはいなかったが、彼らは相当罪深いと思う。

大川小で6年生の娘を亡くした佐藤さんは、中学校の教員である。

佐藤さんは、学校側を提訴したメンバーには入らず、説明会などで学校側と対話する道を選んだ。それは教師として、少しは教育委員会や学校を信頼していたからだろう。しかし――。

説明会で「子どもたちは逃げたかったのに、先生たちの指示がなかったから、逃げられなかった。違いますか?」と問う佐藤さんに、学校側は、「必ずしもそれだけではないと思う」。さらに、「裁判に影響するので、公開の場で話すことは控えさせてもらう」の一点張り。

佐藤さんが、教育委員会の一人として正面に座るかつての同僚に、「○○先生個人としても、同じお考えですか」と尋ねても、まったく要領を得ない言葉が返ってくる。

人間は、組織に同化してしまったら終わりだな。

佐藤さんは、児童の避難が遅れた理由について、教職員たちが津波がきた場合のことよりも、津波がこなかった場合のこと――山へ避難すれば服が汚れる、怪我をするかもしれない等――にとらわれたためではないかと分析する。

つまり「事なかれ主義」。たしかに今も、石巻市、教育委員会、学校側は「事なかれ主義」に徹している。

今、佐藤さんは、全国をまわり子どもたちの命や災害について話をしている。

津波で娘を亡くして変わったことは、「生徒が命に見える」ようになったことだという。

もし、大川小の教職員たちが同じように生徒を「命」と見ていたら、ためらいなく目の前の山に避難させていただろう。

 

京王百貨店屋上遊園

休みだけどとくに予定がないとき、ふらっと出かけて楽しい時間を過ごすことができた新宿の京王百貨店屋上遊園

今日、数ヵ月ぶりに行ってみた。

すると、なんと遊具の撤去作業中。

ええっ、まさか無くなる??

関係者らしき方に恐る恐る訪ねてみると、やはり無くなるとのこと。

しかも、昨日が最終日だった。

いま中学生の姪を連れて行ったのが最初で、かれこれ10年以上のお付き合い。

係の方が親切で、ユーフォーキャッチャーで景品がとりやすいよう、ガラス戸を開けて景品の配置を変えてくれたり、いろいろと親切にしていただいた。

池袋にはまだ屋上遊園のあるデパートがあるらしいが、うちは池袋まではなかなか出かけない。

渋谷、新宿では、京王百貨店が最後の屋上遊園だった。

少子化だし、同じスペースを割くのであれば、もっと儲かることをしようというのが屋上遊園減少の理由だろう。

屋上遊園を屋上庭園にリニューアルするデパートも増えているが、洗練された庭園より活気ある遊園がいい。

デパートの好感度は屋上で決まるとさえ思っていたのに……。

最後の写真を撮っていて、屋上の正式名が「スカイガーデン」で、遊園が「スカイプレイランド」だったと初めて知る。ま、名前なんてどうでもいいのだけど。

あのなんとも言えないのどかな時間が、もう味わえないとは。

私にとっての一時代が終わった気がする……

週末によくいらした恰幅のよい男性係員さん、ロングヘアの女性係員さん、お世話になりました!お元気で!

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