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クーベルタン

その1:オリンピックは「女人禁制」だった――提唱者クーベルタン男爵の女性観

 二〇二〇年の東京オリンピックでは、三三競技三三九種目が実施され、約一万一〇〇〇人の選手が参加する。全選手に占める女性の割合は、別枠扱いの追加五競技を除いて五割近くになり過去最高となる。一八九六年の第一回アテネ大会が「女人禁制」だったことを思うと感慨深い。

 当時欧米では、文化的にも生物学的にも女性とスポーツは相容れないものと信じられており、オリンピックの提唱者であるピエール・ド・クーベルタン男爵も、女性がスポーツを行うことを好ましく思っていなかった。

 彼は「オリンピック競技は男性によって保有されるべきだ」「すべてのフィールド競技への女性の参加を禁ずる」「スポーツの場における女性の役割は、男性の勝者に冠を授けることだ」(田中東子「オリンピック男爵とアスレティック・ガールズの近代」清水諭編『オリンピック・スタディーズ 複数の経験・複数の政治』せりか書房所収)といった言葉を残している。

 一九〇〇年の第二回パリ大会では「女性の優美さを損なわないスポーツ」としてゴルフとテニスのみ女性の参加が許された。そして一九二〇年代以降は、勝利者に対して開催国の若い女性たちがメダルなどを運ぶというスタイルが定着した。

 アーチェリー、水泳など徐々に女性が参加できる種目が増え、女性選手の活躍が目立つようになってもクーベルタンの考えは変わらなかった。第五回ストックホルム大会が開かれた一九一二年にはこう語っている。

女性テニスプレイヤーや女性競泳者がいるばかりでない。女性フェンシング選手、女性騎手、おまけにアメリカには女性のボート競技者がいるというではないか。将来はきっと、女性ランナーや女性サッカー選手さえいるのだろうね? 女性によって行われるそうしたスポーツに、オリンピックのために集まっている観客たちを魅了するようなスペクタクルを創り上げることができると思っているのか?(同上)

 彼の予想に反し、今や大勢の女性選手が活躍し、女子マラソンも女子サッカーもオリンピックの注目種目となっている。

 本稿では東京オリンピックを見据え、スポーツの世界のジェンダーをクローズアップしていく。

 

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