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最近の出来事

親切な履物店さんから下駄について学ぶ

また出版する当てのない原稿を書いている。

過去に出した4冊ともすべてそうだった。全部書き終えてから出版社を探すというかなり能率の悪い手法をとっている。そのやり方が定着してしまった。

数年かけても出版できないかもしれないというリスクはあるが、時間をかけて丁寧に書けるというメリットもある(もちろん、その分貧乏になる)。

今日、明治時代の雑誌記事を引用していたら、数種類の下駄が出てきた。それぞれの違いがわからない。ネットで調べてもよくわからない。

品川にある丸屋履物店さんのウェブサイトが詳しく、メールアドレスも載っていたので、図々しく質問してみた。

もちろんそういう目的のためにメアドを掲載しているわけではないだろうから、もしできましたらご教示下さい云々という前置きは当然つけた。

実はこの手の問い合わせはしょっちゅうしている。

例えば『生理用品の社会史』を書いているときは、複数のドラッグストアに、生理用品を中身の見えない袋に入れる理由を教えてください、という質問をし、不審がられた(ちなみに私は中身が見えない袋に入れることに反対の立場ではない)。

『「オバサン」はなぜ嫌われるか』を書いているときも多くの企業に問い合わせをしたが、一番親切だったのはヤクルトだった。

「ヤクルトおばさん」という呼び方をやめた理由を教えてください、という質問に、丁寧に明確に答えてくださった。

相手にとって何のメリットもない、しょうもない質問に丁寧に答えてくださると、とても感激する。

そして今日問い合わせをした丸屋履物店さんも、メールを送るや否や、とても丁寧でわかりやすい説明を返してくださった。本当にありがたい。

というわけで、今日は本文とはまったく関係ない下駄について勉強し、その経緯をこうしてブログに書くことで1日が終わった。

だから1冊書くのに時間がかかるんだな、と自分でも納得。

 

映画『飛べ!ダコタ』

久しぶりに映画館へ出かけた。

最後に出かけたのは、1998年(前世紀!)上映の『アルマゲドン』なので、実に15年ぶり。

当時は、とくに観たい映画がなくても、暇つぶしに出かけていた。

『アルマゲドン』は、設定が深刻(地球滅亡の危機)なわりに展開が粗末すぎて、後半白けきっていたところ、隣で夫が滂沱の涙を流していることに気づき、ますます白けたのだった。

それと私は、映画館で(というよりどこにいても)他人のマナーが気になって仕方がないタイプ。

つまらない映画だと、「つまらない上に観客のマナーが悪い」と感じるし、面白い映画だと、「せっかくの面白い映画が台無し」と感じる。

1年くらい遅れても、自宅で観た方がマシ、と悟って15年が経過していた。

重い腰を上げて出かけた映画は、『飛べ!ダコタ』。

理由は、毎夏お世話になっている佐渡が舞台で、佐渡の多くの方々の協力によって作られた映画だから。

つまり、内容に期待したわけではなく、お付き合いのつもりだった。

しかし、いい意味で予想外の映画だった。

粗筋は、あらかじめ知っていた。

「ネタバレ注意」と断るまでもなく単純。

終戦直後、佐渡にイギリス機が不時着し、再び飛び立つまでの間、島民たちとイギリス人たちが心温まる交流をするという、実話に基づいた「いい話」。

しかも、ヒロインの比嘉愛未をはじめ、登場人物が全員、地味。とくに誰かがカッコよかったり、活躍したりするわけでもなく、淡々とエピソードが重ねられていく。

しかし、そこに一本貫かれているのが、きれいごとではない反戦思想。

終戦後半年足らずで、こんなに頭が民主化されているかな、と感じたセリフは多々あったが、そんなことは全然、気にならなくなってくる。

イギリスの兵隊さんたちは、いい人だ。鬼畜米英だなんて、軍部に騙された”と話す女性(角替和枝)に、“軍部だけが悪いわけじゃない。私たちみんなが戦争を始めたんだ”と村長(柄本明)が諭すシーンなど、明らかに今日的理解が反映されている気がするが、これは、ボーッとしているとまた同じような時代が来るぞ、という警告に他ならない。

同じく飛行機をモチーフに戦争を描いている『風立ちぬ』に比べ、ほとんど周知されていない『飛べ!ダコタ』。

単館映画だが、予定よりも長く上映されるのではないだろうか。

今回あらためて、私は地味で真面目な作品、モノ、人が好きなんだなと思った。

地味だが不真面目な夫は、今回も滂沱の涙を流していた。

 

ホームレス襲撃はこうして起こる

区内の小学校からときどき、「不審者情報」なるものがメールおよび文書で伝えられる。

こうしたことは、いまや全国的に当たり前のように行われている。

「不審者」に目を光らせ、情報を共有することは、「事件」を未然に防ぐために必要なことだが、過剰な反応は、子どもたちにとっても地域住民にとっても、有害ではないだろうか。

数ヵ月前、「電車の高架下で暮らすホームレスが、登校中の小学生に『学校、行かなきゃね』と声をかけてきた」という「不審者情報」が伝えられた。

「学校、サボっちゃえ」ではなく、「学校、行かなきゃね」である。子ども好きのホームレスが思わず声をかけた、という印象を持った。

「不審者」の定義って一体……?

1ヵ月ほど経って、小学校主催の「セーフティ教室」に参加した。

前半は、警察署の広報課の人が、「連れ去り」について、子どもたちに話をした。

「変なオジサンに気をつけよう」「変なオジサンについて行かないように」と、不審者を「変なオジサン」に限定。

途中でご本人も気づいたらしく、「オジサンとは限らないね。オバサンかもしれないね」。

おにいさんもいれば、おねえさんもいるかもしれない。実は一番、気をつけなければならないのは、子どもたちが最も警戒心を持たない相手、「制服の人」≒「おまわりさん」かもしれない。

用事があったので、途中で帰宅。

後日、最後までいた人に聞いたところによると、後半の話題は、数ヵ月前の「不審者情報」にあったホームレスだった。

保護者から、何とかしてほしいという要望があり、警察署の人が、「あのホームレスは○○といいまして云々」と名前を公表(しかも呼び捨て)、「来週、撤去の予定です」と話したという。

名前を公表?! 人間に対して「撤去」という言葉を使う?! と驚いたが、これについてその場にいた誰からも指摘がなかったというので、2度驚いた。

ホームレスを「撤去」の対象と捉える社会であれば、寝ているホームレスに火をつける中学生がいても、集団で襲う若者がいても、不思議はない。

そういえば以前、同性愛者が襲われる事件が相次いだが、これも根は同じである。

校長先生は「ホームレスの方」と仰っていたというので、まだ救われた。

教育現場では、人権を疎かにしてほしくない。

国語や算数の勉強はあとでいくらでも取り返せるが、人権意識は丁寧に育まないと、取り返しがつかない。

練馬区で、下校中の小学生がナイフで切りつけられるという事件が起きた。

残念ながら、こういう事件は今後も起こるだろうから、対策を怠ってはならない。

しかし、対策と称して、間違った方向に力が入れられそうで、イヤな予感がする。

 

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