toggle
最近の出来事

朝日新聞「声」(その1)「被災地見学ツアー」について

8月3日の朝日新聞「声」欄に、57歳の主婦による「被災地見学ツアーに参加した」という投稿が掲載された。

以下引用> 東日本大震災の被災地を巡るツアーに参加して、宮城県気仙沼市や南三陸町などを訪ねた。ボランティア活動もしないで、団体で見て回るだけということに後ろめたさや申し訳なさも感じたが、実際に行ってみると、各地で温かく迎えてもらえた

現地の方々は被災の実態を知ってもらいたいと強く願っている。そして現地の今の姿を見て感じたことを周りの人に伝えてほしいと言われた。(中略)前向きに歩み出した人々を目の前にすると「よく立ち直ってこられた」と胸がいっぱいになった。(中略)

清掃などでお役に立てなくても、被災地を訪れるだけで「忘れていません。共に歩みましょう」の思いは伝わる。事情の許す方は、一人でも多く東北の被災地に足を運んでほしい。

この女性が出会った方々は、「被災地見学ツアー」を歓迎する立場だったのだろうが、当然、歓迎しない方々もいるだろう。

もし私が被災者だったら、物見遊山で来られるのはご免だ。

それに、被災地に行かないと、被災地のことを「忘れてしまう」のだろうか。

「共に歩みましょう」とは、具体的にどういうことなのか。

その答えが、「被災地見学ツアー」にあるのなら、参加する意義があるかもしれない。

いずれにしても、被災地を見学に行く方には、下記のブログを読んでいただきたい。

「東日本大震災を風化させない活動推進センター」さんのブログ

~被災地の観光地化について~

「声」欄を読んでいると、ときどき、「これは編集者が反論を期待して掲載したな」と感じる投稿があるので、これもそうかもしれない。

 

『評伝 ナンシー関』

ナンシー関の文章が好きだった。

職場で、『週刊文春』のナンシーのコラムを読んでいたら、同僚に「中村うさぎのほうが面白いよね」と言われ、この人とは合わない……と思ったものだ。

ナンシーが亡くなって10年。評伝が出た(横田増生著、朝日新聞出版)。

読みたいと思っていたら、一昨日の読売新聞に、星野博美さん(ノンフィクション作家・写真家)の書評が出ていて、こんなことが書いてあった。

以下引用> 最後に一言。ナンシー関ほど非凡な女性が命を削って仕事に没頭したことや結婚しなかった理由を、体重や容姿に求めようとする著者の無意識な男目線には落胆した。彼女は本当に長生きすべきだった。生きていれば、反論できたのだから。

それが本当なら、ナンシーを冒涜している。

(生きていたとしても、反論する人ではないと思うが)

そんな本なら、読みたくない。

でも、ほかの書評をあたると、「誠実かつ真摯な人物伝」「純粋な敬意に満ちた評伝」というものも。

ナンシー自身は、この評伝をどう読むだろう。

自分の顔と、その脇にひと言、感想を彫ってほしい。

もう叶わないけど。

 

私の偏見

近所の大学構内を散歩していたら、たまたまオープンキャンパス開催中で、ゲイ(男性同性愛者)の講師による「セクシャルマイノリティに対する理解を深めるために」といった内容の小講演が行われていた。

せっかくの機会なので、拝聴したのだが、そこで自分のなかの偏見に気づかされた。

講師の男性は30代半ばの会社員。社内でもゲイであることをカミングアウトし、同じくゲイの男性と共同生活をしているという。

理解ある同僚、友人に恵まれ、充実した日々を送りながら、こうした活動を行っているとのことだった。

セクシャルマイノリティに対する知識がまったくない人にも理解しやすいよう(実際、その場には、同性愛に対する偏見がかなり強い人がいた)、例えを多用しながらのお話だった。

そのなかで、「自分がゲイであることを男性に伝えると、『惚れられてしまうのでは?!』と警戒されることがあるのですが、異性愛の男性だって、相手が女性だというだけで好きになったりはしませんよね」と話された。

続けて、「例えば、合コンに出かけて、女性陣がブスばっかりだったとします。それでも誰かを好きになりますか? なりませんよね。男性が美人を選ぶのと同じように、僕らも相手を選びます」と仰った。

セクシャルマイノリティ(を代表して講演を行うような人)は、人権意識が高く、容姿で人を見下したりはしないという思い込みをしていたが、それは偏見だった。

1 2 3