『令嬢世界』とフレンド月経帯
NHK連続テレビ小説『カーネーション』にたびたび登場する『令嬢世界』という女性誌。
洋装の女性の写真がたくさん掲載されているので、主人公糸子が洋服を作るとき、デザインの参考にしている。
実在した『令女界』『女学世界』などに誌名を模したと思われる。
今日放映の第31回では、糸子が『令嬢世界』のページをぱらぱらとめくったとき、一瞬、広告が見えた。
10月31日付の当ブログ「NHKカーネーション『黒田屋の火事』」で触れた「フレンド月経帯」の広告だった。
まだまだ手製の丁字帯を使用していた女性が多かった時代、月経帯はハイソな生理用品だった。
おしゃれな女性誌に、ふさわしい広告と言える。
日本で最も早く製品化された月経帯は、「衛生帯」だと思われる。1900(明治33)年に製品化が宣言され、同年中には発売されていた。
少し後に発売され、かなり普及したのが、助産師の山田逸が考案し、資生堂が製品化した「月の帯」という月経帯である。
明治末期の1910年頃に、アメリカ製の月経帯「ビクトリヤ」が輸入販売され、女性誌に広告が載るようになる。
ゴムを使用して経血の漏れを防ぐ点が売りだったが、品薄な上に高価だったため、普及しなかった。
1913(大正2)年には、コンドームなどのゴム製品を製造していた大和真太郎が、国産の「ビクトリヤ」の製造販売を開始した。
値段はアメリカ製の半分以下だったが、それでも高級品には変わりなかった。
大正時代には、「ビクトリヤ」以外にもさまざまな月経帯が、薬局や小間物屋、あるいは通信販売で売られていた。
昭和に入ると、「フレンド月経帯」のほか、「メトロン月経帯」「ノーブルバンド」などが量産されるようになる。
「フレンド月経帯」はやがて、「ビクトリヤ」と人気を二分するようになり、双方の広告が、『婦人倶楽部』と『主婦の友』に、毎月掲載されるようになる。
ゴム製月経帯が製品化された当初、女学生だった女性たちが、、『婦人倶楽部』や『主婦の友』の読者層となっていたこの頃は、ゴム製月経帯の使用者層も徐々に広まっていたのだろう。
さて、昭和初期に新しい月経帯が相次いで発売された背景には、腰巻に代わるズロースの普及があり、そのきっかけとなったのが、1932(昭和7)年に発生した白木屋の火事(「カーネーション」では「黒田屋の火事」)だという説があるのだが、これは事実ではなかった。
(詳しくは、10月31日付「NHKカーネーション『黒田屋の火事』」をお読みください)
(文中、敬称略)