横田めぐみさん、48歳の誕生日
今日10月5日は、北朝鮮拉致被害者、横田めぐみさんの48歳の誕生日である。
中学1年生だっためぐみさんが、新潟県の海沿いの町から忽然と姿を消したのは、1977年。
ご両親が、北朝鮮による拉致の可能性を知ったのが、1997年。
その間、20年。
ご両親は、めぐみさんの行方についてさまざま推測し、探し続けていた。
行方不明になった当日は、車に引きずりこまれたのではないかと疑い、駐車している車を片っ端から覗き込み、「バカヤロー!」と怒鳴られた。
直前に、めぐみさんが部活動のことで悩んでいたため、家出や自殺も疑った。
ニセ誘拐犯から電話がかかってきたこともあった。
新聞に載った写真のなかに、めぐみさんに似た人が写っていれば、新聞社に確認した。
ボウリングの団体が主催するミスコンテストの候補のなかに似ている人がいることを知り、当時暮らしていた前橋から、大会が開かれる品川まで出かけたこともあった。
絵画展でめぐみさんに似た女性の絵を見つけると、モデルを確認せずにはいられなかった。
以上は、めぐみさんの母親、横田早紀江さんが、1999年に出版された『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社)の内容である。
書名から、北朝鮮による拉致という想像もしなかった恐ろしい現実に直面しながらも、めぐみさんが生きていた!いずれ会える!という希望も抱いていることがわかる。
それから13年。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんが帰国してから10年になる今年、早紀江さんが『めぐみと私の35年』(新潮社)を出版された。
前半は、前掲書と重なる内容だが、後半では、北朝鮮拉致が判明してから、遅々として進まない救出活動についての苛立ちが綴られている。
また、夫、滋さんの体調不良についても触れられている。
拉致被害者家族会が、政府に救出を訴えるために集めた署名は、これまでに1000万人分。
しかし、政府はこれに応えていない。
あまりに政府が頼りないので、署名ではなく、一口100円の募金にすれば、1000万人分で10億円になるわけだから、それで解決法を探ることはできないのだろうか?などと考えてしまう。