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2015-09-25

Nスペ『老衰死~穏やかな最期を迎えるには~』

NHKスペシャル『老衰死~穏やかな最期を迎えるには~』

治療の限りを尽くし、とりあえず延命するということに重きを置いてきた従来の医療のあり方に対する反動かとも思うが、最近、延命治療を批判する本や雑誌記事が多数出ている。

いわく、たくさんのチューブにつながれて人生の最後を過ごすいわゆる「スパゲティ症候群」「非人間的」であるため、延命装置ではなく、家族に囲まれて「人間らしく」死ぬことが望ましい、と。

こうした説に接するたびに私が感じるのは、延命治療にお金をかけてもらえるなんて、羨ましいなということ。最低限の医療しか受けられず、放置されるより、チューブでつながれるほうにむしろ家族の愛情を感じる(自己満足に過ぎないとしても)。

今回のNスペは、延命治療を行わず、自然と寿命が尽きるのを待つ〝老衰死〟を「穏やかな死」と捉え、理想の死に方であるというメッセージを発信していた。

何事も疑ってかかる私は、これってこの先の超高齢化社会で医療費を節約するための策略ではないか、と感じた。

現代の日本人は、生まれたときから医療漬けであり、それが当たり前となっている。なぜ延命治療だけが嫌悪されるのか。「非人間的」だから? 健康や長寿に固執する姿こそが「人間的」であり、自然に近い状態のほうが「非人間的」だと思うのだが。

番組では、欧米の「死の質(QOD)」を高めるための活動も紹介していた。イギリス人の終末期ケアの講師が、「私たちは死を拒否し、まるで永遠に生き続けられるように思いがちです。死は負けだと考えるが、そうではありません。安らかに死ねないことが負けです」と語っていた。

別に永遠に生きられるとは思っていない。ただ、一度死んでしまったら二度と生き返れないので、少しでも長く生きていたいと思うのだ。それに「安らかに死ねないことが負け」という言葉も、聞き捨てならない。人の死に方を勝手に評価するな。

延命治療を施さない〝老衰死〟をよしとする都内の特別養護高齢者ホームも紹介され、そこで90代の母親を看取った男性が、「やさしい母親でしたから、自然の中に終わっていったというのは、いかにもぴったりでした」と語っていた。

亡くなった人は何も語らないし、結局は残された者の気持ちの問題だろう。

私もできれば長生きして穏やかに死にたいけれど、普段全然穏やかに生きていないのに、死ぬときだけ穏やかに、というのは虫のいい話だという気もする。

 

 

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