「オバサン」と「紳士」
前回の当ブログで、『朝日新聞』「声」欄から、3つの投稿を紹介した。
①バスのなかで悪態をつく男性を一言で鎮めた「オバサン」を称えた投稿。
②育児中の母親に温かい声をかけてくれる「オバサンたち」を称えた投稿。
③「50代と見える」女性から、育児について叱責されたという母親の投稿。
①②は、「オバサン」という言葉をあえて使って、中高年女性の称えられるべき言動を紹介し、「オバサン」の名誉回復に貢献している。
③ではあえて(?)、「オバサン」という言葉は使われていない。
この投稿の文脈で「オバサン」を使ったら、まるで「オバサン」だからそういう言動に及んだのだと言わんばかりになる。
さて、③の投稿に対して昨日、「落ち着いた紳士の声 救いに」という投稿が寄せられた。
以下引用>> 「責めるより救いの手伸べて」を読み、疲れたり機嫌が悪かったりすると、どこにでも寝そべる癖があった当時2歳の息子のことを思い出しました。ある日、息子はスーパーの出入り口付近で寝そべり、腰痛があり、子どもを抱えて歩けない私が立ち上がるように言っても聞きません。
そこへ、高齢の男性が一言、「そんなところに寝転がっていたら汚いぞ」。叱るでもなく、私を責めるでもなく、落ち着いた声でした。男性はすぐ立ち去りましたが、それを聞いて息子は跳び起き、私はどんなにありがたく感じたことでしょう。誰でも声をかけあえる社会は、人が育ち、暮らす上で大切と思いました。
(『朝日新聞』「声」2011年11月21日)
前回紹介した①②の投稿と同様、この投稿では、高齢男性の言動を称えているのだが、「オジサン」という言葉は使われていない。
ここに、「オバサン」と「オジサン」という言葉のニュアンスの違いが読み取れる。
さらに、この投稿のタイトルには、「紳士」という言葉が使われ、違和感がない。
「紳士」の対義語は「淑女」ということになっているが、もし同じことをしたのが女性で、「落ち着いた淑女の声 救いに」というタイトルだったとしたら、違和感がある。
上品な男性を「紳士」と呼ぶことはあっても、上品だからといって、なかなか女性を「淑女」とは呼ばない。
また、「紳士」は幅広い年齢層に使えるが、「淑女」には年齢制限がありそうだ。
気軽に声をかけ、母親に救いを与えても、②の投稿では「オバサン」。
かたや、紳士っぽい描写はとくにないが(行為が? それなら「オバサン」も同じ)、「紳士」。
「紳士」の一言で母親は救われたわけだし、腐すつもりはないのだが、よその子どもに声をかけることは、世の多くの中高年女性たちにとって、当たり前の日常だ。
男性が声をかけたという点が新鮮なのだろうか?
①の投稿にある女性は、バスが遅れたと悪態をつく「体格のよい中年の男性」に対し、「そんなに遅れてないわよ」と言った。
2歳児と異なり、逆ギレして襲いかかってくる可能性がないとは言えない。
じつに勇気のある一言だ。気品さえ感じる。
しかし投稿タイトルは、「淑女の一声でイライラ車内一変」とはされない。
女性の場合、他人に意見するという行為は、上品とは見なされないからだ。
相手を省みず、堂々と主張する態度は、「オバサン」的と見なされてしまう。