「われら百姓家族~子どもたちの15年」
最近は、以前放送したものに最初と最後をちょっと付け足しただけという回が多く、念のため録画しつつも、あまり観ることもなくなっていた日曜午後の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)。
昨日は、念のため録画しておいてよかった!と思った。久しぶりの「われら百姓家族」の続編だった。当ブログ「ザ・ノンフィクション『老人と放射能~FUKUSHIMA~』」で少しだけ触れたことがある。今回の放送は、「百姓家族」の15年後。
兵庫県の山中で自給自足生活(それも半端ではない!!)を営んでいた大森家。15年前は、お父さんとケンタ、げん、ユキト、ちえ、れい、あいの7人家族だった。母は父の生き方についていけず、子どもたちを残して出て行った(といっても『痛快!ビッグダディ』の佳美さんといっしょにしてはいけない)。
現在、子どもたちは巣立ち、お父さんは一人暮らし。ケンタとげんは彼らの生き方に共感し、支えてくれる女性と結婚し、子どもたちに囲まれ、幸せそうである。息子たちの中で1人だけ自給自足生活に不満を持ち、都会に出て役者を目指したこともあった三男のユキトは、フィールドアスレチックのスタッフとして働いている。以前、彼が役者を目指す過程で、信頼していた人から裏切られ涙したときは、観ていて本当に心が痛かった。その彼が、いかにも彼らしい仕事についていることにホッとしつつも、まだ心に何か不満を抱えているかもしれないとも思った。
15年前、13歳だった長女のちえちゃんは、お父さんから、卵を産まなくなった鶏を食べるため首をはねるように命じられるが、どうしてもできなくて泣いた。いつもは与えられた仕事をこなさないと雷を落とすお父さんも、このときばかりは怒らなかった。代わりにユキトが首をはね、10歳の双子、れいちゃんとあいちゃんが血抜きと解体をした。しかしほとんど最終、肉をスライスする段階になって、あいちゃんが泣き出す。「ん?どうした?」とか言いながら、あいちゃんが切った鳥刺しを肴に晩酌するお父さん。
実は今回の放送で、子どもたちがほとんど学校へ通っていなかったことを知った。お父さんは、小学生に山ほどの家事と農作業、家畜の世話をさせ、それが終わったら学校へ行っていいと言っていた。行けるわけがない。
現在、ちえちゃんは陶芸家を目指して修行中。れいちゃんとあいちゃんは、大阪で暮らしながら、学校へ行かなかったことを後悔していた。れいちゃんいわく、「バカにされる。アルバイト中も計算が遅いし、領収書の漢字が書けない」。
学校へ行かずとも、お父さんが読み書きそろばんくらいは教えているのかと思ったが、そうではなかった。れいちゃんは、夜間高校に通いながら、シェアハウスの管理人の仕事をして学費と生活費すべてを稼いでいる。「アイアムって何?」から始めた英語は上達し、2年前に英語のスピーチコンテストに出場するほどまでになった。この根性は、あの自給自足生活から生まれたのだろうか?
あいちゃんは、れいちゃんほど逞しくない。泣きながら語るところによれば、大阪に出てきてから「周りから純粋すぎるって言われる」とのこと。ほかの人が言うと「は?」と言いたくなるセリフだが、あいちゃんは例外。あいちゃんもユキトも、純粋すぎて傷ついた。純粋に育つ、あるいは育てることの意味って何だろう。
今回の放送で、れいちゃんとあいちゃんは2人そろって、1人で暮らすお父さんを訪ねた。お父さんは、ガンが見つかったが、自然の摂理にまかせるという方針で、治療を受けていない。
2人で詰まった煙突を掃除し、ストーブで部屋を暖める(それ以前、お父さんは気温0℃の部屋にいた)。屋根の雪下ろしをする。薪で五右衛門風呂を沸かす。その手際のよさを見て、単純にも学校の勉強より価値あることかもしれない……などと思ってしまった。
今回の放送は編集のせいか、前半お父さんに不信感を抱かずにはいられないが、その感情が不思議とV字回復したのだった。
ちなみに、「われら百姓家族」シリーズで最も素晴らしいのは、次男げんの結婚式の回である。ケンタがげんに貯金箱を投げるシーンが圧巻。